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東京高等裁判所 平成5年(ネ)4342号 判決

控訴人

平澤正夫

右訴訟代理人弁護士

小原健

松原暁

中條嘉則

朝比奈秀一

被控訴人

財団法人日本野鳥の会

右代表者理事

黒田長久

右訴訟代理人弁護士

久保田康史

中山ひとみ

主文

一  原判決中次項の金額を超えて被控訴人の請求を認容した部分を取り消す。

二  控訴人は被控訴人に対し、金一五万円及び内金一〇万円に対する昭和六三年二月五日から、内金五万円に対する平成元年八月二五日から、各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  右取消にかかる部分についての被控訴人の請求を棄却する。

四  控訴人のその余の控訴を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その一を控訴人のその余を被控訴人の各負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の申立

一  控訴人

1  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

控訴棄却

第二  事案の概要及び証拠

事案の概要は次のとおり付加するほかは原判決書二枚目表八行目以下の「事案の概要」のとおりであり(原判決書一枚目裏一〇行目の「事実」を「事実及び理由」に改める。)、証拠の関係は原審及び当審の証拠目録記載のとおりであるから、それぞれこれらを引用する(ただし、本件記述(一)に関しては、原判決において不法行為とはいえないとされ、また、被控訴人の謝罪広告の請求も棄却されたが、これらの点については被控訴人からの不服の申立はないから、当審においては争点から除かれる。)。

一  原判決書二枚目表九行目の「争いない事実」を「争いない事実等」に改める。

二  原判決書二枚目表一〇行目の「原告は、」の次に「昭和九年に、野鳥と自然保護に強い関心を持つ人々によって組織された日本野鳥の会の資産を基礎として」を加え、三枚目表七行目の「国に」を削る。

三  原判決書三枚目裏三、四行目を「(二) 訴外市田則孝(以下「市田」という。)は、昭和四五年に被控訴人が財団法人となった当時に、事務局の職員として採用された者で、昭和五〇年に事務局長に、昭和五九年には事務局長のまま常務理事に就任して、以後現在に至るまで両者を兼務している(甲五〇、証人市田(原審))。」に改める。

第三  争点に対する判断

当裁判所は、本件記述(四)に関する限度で不法行為の成立が認められ、主文第二項の金額の範囲で被控訴人の請求は理由があるが、本件記述(二)、(三)及び(五)の各記述に関しては不法行為の成立を認めることができず、その余の被控訴人の請求は理由がないものと判断する(原判決の本件記述(一)に関する判断及び謝罪広告の請求の当否についての判断に対しては前示のとおり被控訴人からの不服の申立がないから、この点については判断しない。)。その理由は以下のとおりである(なお、以下において「本件各記述」というのは、本件(二)ないし(五)の各記述を指すものとして用い、その他の略語については特に断らない限り原判決書と同様である。)。

一  争点1(本件各記述による名誉毀損)、2(本件各記述の公共性、公益目的、真実性)、3(真実と信じたことの相当性)、4(公正な論評の法理によ免責)について

1  個別の判断の前提となる問題について

本件各記述に関する争点について判断するに当たって、その前提となる基本的な考え方及び全般的な事実認定についての当裁判所の判断は次のとおりである。

(一)  公然事実を摘示したことが人の名誉又は信用を毀損することになっても、ことがらが公共の利害に関する事実にかかるものであり、かつ、もっぱら公益を図る目的に出たものと認められる場合であって、摘示した事実が主要な点で真実であることの証明があったときは、その行為は違法でないとすべきであり、また、摘示した事実が真実であることまでの証明がないときでも、行為者において当該事実が真実であると信じ、かつそう信ずるについて相当の理由があると認められるときには、その行為につき故意又は過失がないものとして、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

このことは、事実を摘示することなく、人の名誉又は信用を毀損する論評を公表した場合にも、そのような評価を下す基礎となった事実が真実であるか、真実であると信ずるについて相当の理由があるかどうかに置き換えて、同様に解することができる(ただし、評価の基礎となった事実が真実であるか、真実であると信ずるについて相当な理由があると認められる場合であっても、用いられた表現が社会一般に許される限度を逸脱するような不相当なものである場合には、表現自体が違法であるとして不法行為となる場合があり得る。)。

そして、この場合における真実であると信ずるについての理由の相当性を判断するに当たっては、当該論評全体の内容と批判の対象とされていることがら及び対象者の社会的地位を考慮する必要があると解される。公共の利害に関すること及び公益を図る目的に出たことが認められる場合であっても、論評が主に批判の対象者の私的な行動を摘示しているに過ぎないものか、対象者の社会的な地位に即した行動のあり方を批判するものかは、当該論評の全体を吟味することによって自ずと判るし、その違いによって、要求される右相当性の程度に差異が生ずることは常識的にも理解できるところであろう。公正な論評という形で議論されるところも、突き詰めればこうした考えを基礎とするものであると理解される。

言論の自由が保障されている社会にあっては、それなりに根拠のある批判には反論をもって応えていくのが原則的方法であることは、多言を要しない。この点を考えると、相応の根拠に基づく批判的論評の不法行為性を判断するに当たって、その免責のための要件をあまり厳しいものとするのは相当でない。民事上の損害賠償とはいえ、真実と信じたことの相当性についてあまりに厳しいものを要求すると、表現の自由が必要以上に大きく制約される結果となってしまうからである。無責任な中傷記事か、許される批判記事かを判断する上で、表現の自由と批判を受ける者の権利・利益との調和を考える必要かあることは当然であり、こうした観点からする慎重な考慮が不可欠といえる。

本件で問題になっている控訴人の記事は、掲載紙の性質ということもあろうが、率直にいってそれほど質の高い論評であるとは受け取り兼ねる。しかし、その記述は、個人の私生活をあげつらうというような俗にいう単なる暴露記事ではなく、その批判が当たっているかどうかは別として、被控訴人の組織の運営及び事業活動の在り方に疑問を投げかけて、控訴人の立場から論評を加えるというものであることは本件記事の全体を読めば十分理解することができる。その表現の中には、かなりどぎつい、あるいは品のよくない言葉も見受けられるが、批判記事という性格上、強い調子の表現になるのもある程度止むを得ないところである。被控訴人にしてみれば、このような記事は、気にくわないどころか許せない記事と映ることも理解できないではない。しかしながら、被控訴人は、野鳥の生息に関する環境の保護が話題になるようなときには報道にもしばしば取り上げられるなど、世間的にも環境保護団体としてよく知られている団体であって、その活動は多くの国民からも注目されているところであり(このことは公知の事実といってよい。)、その公共的立場を考えると、色々な人から様々な批判を受けることも止むを得ない立場にある。

本件記事の摘示事実あるいは論評の基礎となった事実が真実であると信じたことの相当性の判断に当たっては、以上の点を考慮した上で、許される批判の域を逸脱するものかどうかという観点を加味して総合的に判断すべきである。これらの点を前提として、本件記事の不法行為性を検討することとする。

(二) 控訴人が批判の対象として採り上げた本件記事全体の主要なテーマの第一は被控訴人の商業主義的傾向であり、第二は被控訴人の常務理事兼事務局長である市田の権力主義的行動、つまり「市田天皇」のマキャベリズムであることは甲第一号証の記述からみて明らかであり、本件記事において控訴人が摘示あるいは論評した事項が公共の利害に関するものであり、専ら公益を図る目的に出たものであることは原判決書九枚目表一一行目から一〇枚目表三行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

(三) 本件記事を執筆するに当たっての控訴人の取材及び執筆の経過、すなわち、沖縄の現地取材を皮切りに、本件記事に書かれた内容について、被控訴人の本部において主として小河原から事情を聴き、市田には取材の申し入れをいったんは断られたものの、たまたま出会って短時間ではあるが取材をし、その後、竹下、石川、八重子、山口、山田らから取材をしたこと、右取材の結果とその間に収集した資料をもとに数日間で本件記事を執筆したものであること等に関しては、次のとおり改めるほかは原判決書一〇枚目表五行目から一四枚目表一行目までのとおりであるから、これを引用する。

(1) 原判決書一〇枚目表六行目の「証拠(」から七行目の「弁論の全趣旨)」までを「証拠(乙六、一〇、二七の一・二、二八、四七ないし四九、七六の一・二、九二ないし九四、証人市田(原審・当審)、証人小河原(原審)、控訴人本人(原審・当審))及び弁論の全趣旨」に改める。

(2) 原判決書一一枚目表一行目の「及びその際に生じた問題点」を「及び保護活動並びそれらに関する問題点」に改め、三行目の末尾に、鶴居村サンクチュアリへのツアーに関する事項」を、同裏一行目の「発言」の次に「があり、鶴居村へのツアーの件についても」を加え、三行目から四行目にかけての「発言がされた。」から六行目末尾までを「発言があった。さらに鶴居村の件については、村長から本件記述(三)に記載の趣旨の発言があったこと、その内容は、村長の側では当初は被控訴人が地域開発に反対するものとして警戒していたが、鶴居村の地域振興にも配慮していることがわかって安心し、鶴居村のサンクチュアリの建設に際し協力をしなかったことを詫びる趣旨のものであるとの説明であった。小河原は、右の「メシ」が「くえる」という意味は、地域振興を図る中での自然保護であり、地元が経済的に成り立つ自然保護であるという意味で説明した積もりであったが、取材全体を通じると、被控訴人の自然保護活動は、地元が経済的に成り立つと共に被控訴人自身も収入を得て経済的に成り立つことの二つの側面を考慮したものであると受け取れるものであった。」に改める。

(3) 原判決書一二枚目裏一〇行目の「その後の顛末」を「その後、江戸理事の斡旋で、市田は中西に、中西会長の指図に反し、組織を軽視したことを詫び、先輩各位に対して不遜な言動があったことを反省する趣旨の誓約書を差し入れるなどして解雇されずに推移したなどの顛末」に改める。

(4) 原判決書一三枚目裏二行目の「本件記事の脱稿後の同月二五日」を「本件記事の執筆を始めた同月一九日」に、同一〇行目から一四枚目表一行目までを「また、控訴人は、小河原に対する取材後本件記事の執筆までに、小河原から借りた昭和六二年一月号の「野鳥」(四八五号)に掲載されている事務局体制の組織図により、被控訴人には資金部があることを知り、右組織図によって資金部が常務理事に属するものであると判断したが、右資金部が真実常務理事に属しているものか、いかなる仕事をしているかについては特に取材することはなかった。」に改める。

2 本件記述(四)(蒲生干潟環境アセスメントに際しての取引)について

(一)  当裁判所も本件記述(四)が被控訴人の社会的評価を低下させると判断するものである。その理由は、原判決書七枚目表四行目の「本件記述(四)においては」から同裏末行までのとおりであるからこれを引用する(ただし、原判決書七枚目裏三行目の「本件記事全文を通して読む限り、」の次に「ことに、本件記述(四)の冒頭付近にある「彼らに都合のいいアセスをしないかぎり評価されない。受注側からすれば、二度めの注文がとれなくなる」との文章を受けて次の段落に、右「取引」が出てくるものであることからすれば、」を加える。)。

(二)  当裁判所も本件記述(四)について、主要な部分についての真実性の証明があったとはいえないし、真実と信じたことの相当性についての既述の観点を考慮しても右相当性を認めることはできず、公正な論評の法理の適用もないと判断するものである。その理由は、次のとおり付加するほかは原判決書三三枚目裏六行目から三六枚目裏四行目までのとおりであるからこれを引用する。

(1)  原判決書三三枚目裏六行目の「証人小河原」の次に「、同市田(原審・当審)」を、三四枚目表一行目の「原告は」の次に「宮城県と数回交渉をした結果」を加え、同六行目の「証拠の次の括弧内を「乙一七ないし二一の各一・二及び控訴人本人(原審・当審)」に改める。

(2)  原判決書三四枚目裏七行目の「右認定事実を総合すれば」から三五枚目裏一行目までを次のとおり改める。

「右(1)、(2)に認定の事実によれば、被控訴人が宮城県からアセンスメント調査を受託するに当たって、ある程度妥協的な態度を選んだことからいって、何らかの意味での「取引が行われた」のではないかと推測することはあながち根拠のないものとはいえない。

しかし、本件記述(四)における「取引」は、被控訴人が宮城県に都合のよい環境アセスメントを行うのと引き換えに、蒲生干潟にサンクチュアリを設置して被控訴人が保護管理を行う趣旨と理解できることはすでに判示のとおりであって、本件記述(四)はこのような意味での取引が「行われた」と断定的な表現をもって積極的な事実摘示を行っているものであり、単なる論評の域に止まるものではないことが明らかである。しかし、右(1)、(2)の事実から右の意味での取引がなされた事実を推認することはできないし、この意味での取引があったことを認めることのできる的確な証拠もない。

本件記述(四)の冒頭部分に記載されている「彼ら(開発主体を指す。)に都合のいいアセスをしないかぎり評価されない。受注者側からすれば二度めの注文がとれなくなる。」との指摘は、開発に反対する側の者から環境アセスメントの一般的な問題として指摘されるところであろうし、控訴人の山口に対する取材メモにも同趣旨の記載がある(乙四八)。しかし、被控訴人はそのころまでに四回環境アセスメントを受注したが、内二回は開発側に不利な結論を出したものであること(証人市田(原審))等に照らして、右の意味での取引があったと認めることはできない。右の批判的な指摘があることから、被控訴人が本件アセスメントの受注の際に、宮城県に都合のよい環境アセスメントを行うことを約束し、これと引き換えに、蒲生干潟にサンクチュアリとして被控訴人が保護管理を行うことを認めさせたとの前期趣旨のような取引をしたと推認するのは飛躍があり過ぎる。控訴人は、被控訴人が右アセスメントを行った結果である蒲生海岸の鳥類モニタリング調査報告書(乙六六の一ないし三)の内容が不十分であるなどと主張し、乙第九〇号証、一一六号証及び控訴人本人の供述(原審・当審)はこれに沿うものであるが、甲第七一号証に照らして、右証拠だけから、右調査報告書の内容が不十分であると認めるには至らない。

結局、本件記述(四)は主要な部分において、真実と認めることはできないというほかない。」

(3)  原判決書三六枚目表一行目の「蒲生に関する」を「蒲生についての」に、一一行目の「公正な論評の法理の主張も採用し難い。」を「前記のとおり、本件記述(四)における「取引」に関する表現の仕方を考慮すると、公正な「論評」ということもできないし、仮に論評にあたるとしても、右法理により免責されるものとは認め難い。」に改める。

(4)  原判決書三六枚目裏四行目の「不可能であったとは認められない」の次に「(控訴人は、被控訴人が蒲生を守る会の公開質問状に対する回答を拒否していることから、蒲生問題について市田に質問しても答えないと考えたとの趣旨の供述をするが、右は単なる控訴人の思い込みに過ぎず、前記の点について直接取材を怠ったことの弁解にはならない。)」を加える。

3  本件記述(二)(国際ツル財団日本支部解散への圧力)について

(一) 当裁判所も本件記述(二)が被控訴人の社会的評価を低下させると判断するものであり、その理由は、原判決書五枚目表七行目の「本件記述(二)は」から六枚目表八行目までのとおりであるからこれを引用する(ただし、同五枚目裏一〇行目の「右(1)記述」を「右(1)の記述」に、六枚目表七行目から八行目にかけての「原告に対する社会的評価が低下することがあり得るものと推認される。」を「被控訴人に対する社会的評価を低下させるものと推認される。」に改める。)。

(二) しかし、当裁判所は、以下に述べるとおり、本件記述(二)は真実性の証明があるか、少なくとも控訴人がその内容を真実と信じたことに相当性があると判断する。その理由は次のとおりである。

(1) 原判決第二の一(争いない事実等)に判示の事実と、証拠(甲六ないし一〇、一三、二五、二七、二八、二九の一・二、乙一ないし六、一〇ないし一二、七二、七三、証人小河原(原審)、同市田(原審・当審)、控訴人本人(原審・当審))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

ア 国際ツル財団は、アーチボルド及びロナルド・サウエイによって昭和四七年に設立された、ツル保護を目的とした財産を中心とする組織である。

山口は、ツルの生態に深い関心を持っていたこともあって、国際ツル財団日本支部の支部長を務めていたものであるが、アーチボルドが日本ではあまり知られていなかったころから、同人が来日した際にその宿泊の面倒をみたり、生活費や活動費の援助をするなどしており、二人は親密な関係にあった。

イ 被控訴人は、ツルの保護を目指す人々が連帯して活動する必要があるとの考えから、昭和六〇年に、野生のツルを絶滅から守り、人間とツルのよりよい共存をはかることを目的として、ツル保護特別委員会を被控訴人の特別委員会として発足させ、被控訴人の編集部の主任であった中村を事務局長に当てたが、右委員会の事務局には、被控訴人の職員の外に、国際ツル財団日本支部の者も入っていた。右委員会は、ツル保護キャンペーンの展開、ツル保護活動資金の募金、国際協力体勢の確立と推進を当面の活動目標としていた。

右委員会は、右募金活動のため、昭和六〇年一月一二日に開催された第一回委員会において、本件ツル保護募金活動の実施を決定し、以後、五回にわたり読売新聞に広告を掲載するなどしたが、そのなかには、北海道にツルのサンクチュアリを建設しようと呼びかけたものや、北海道の鶴居村にサンクチュアリを建設するためには一億一五〇万円が必要であり、右募金の使途として、そのための土地の買い上げ、周辺環境整備、観察施設建設、基礎調査が掲げられている。

ウ 本件記述(一)に記載された本件募金収支決算は、第二回ツル保護特別委員会のために、昭和六〇年度(昭和六〇年四月一日から昭和六一年三月三一日まで)のツル保護募金の収支決算を示す資料として昭和六一年四月以降に作成されて公表されたものである。

右収支決算によれば、本件ツル募金の支出として多いものは、人件費、その他経費の内の旅費交通費及び家賃等であるところ、右人件費及び旅費交通費には、鶴居村のサンクチュアリ建設に直接関係するもの以外のツル保護特別委員会の諸活動のために使用されたものを含み、右家賃は右委員会使用面積相当分の被控訴人事務所の家賃であった。

市田らは、右内容に誤りはないものの、このような形で整理するのは不適当であったと考えており、右委員会で右収支決算の家賃に関して批判が出たこともあった。

エ 国際ツル財団は、昭和六二年五月にチチハルでツル保護のための国際会議を開催することを予定していたところ、ツル保護特別委員会は、昭和六一年六月にカナダのオタワで開催された国際鳥類保護会議に参加した中村にアーチボルドから要請があったことから、右チチハル会議のために「世界のツル」という小冊子を発行することに賛同した。もっとも、チチハル会議には被控訴人関係者は出席しなかった(なお、本件記述(二)(1)の中の「去年四月」が「一昨年六月」の誤りである。)。

また、被控訴人は、アーチボルドから、市田宛ての昭和六一年八月一四日付の書簡などで、ケニアのカンムリツルと湿原の研究のための二〇〇〇ドルの資金援助の要請を受けて、これを承諾して支出した。

オ アーチボルドは、昭和六二年一月八日、被控訴人事務所を訪ねて市田と面談したが、これには国際ツル財団日本支部に所属し、ツル保護特別委員会の委員でもあった後藤優美が通訳を兼ねて同席した。その際、市田はアーチボルドに対し、被控訴人がチチハル会議に関係者を出席させない理由に触れて、山口が被控訴人のことをいろいろと悪く言い触らしているからツルに関してはなるべく触れたくないとの趣旨の話をし、さらに、山口の書いた手紙により大きな被害を受けたこと、その手紙のコピーもとってあることを話し、後藤は山口に、右会話の経緯について記載した書簡を出している(右認定と異なる部分につき証人市田(原審・当審)の供述は乙七二及び証人小河原(原審)の証言に照らし採用できない。)。

カ アーチボルドは山口に、昭和六二年七月二日付で、「ICFJ(国際ツル財団日本支部の略称)による野鳥の会批判のすべてに対し同意するわけにはいきません。したがって、ICFJには、日本ツルクラブといったような別の名称にかえてほしいのです。……八月一日に貴方やその他の役員の方々とお会いし、この間題について……話し合いましょう。」等と記載した書簡を送り、国際ツル財団日本支部が国際ツル財団の名称を使用しないことを求めたが、これには山口ら国際ツル財団日本支部の関係者には事前に何の相談もなかった。

山口ら国際ツル財団日本支部の関係者は、日本支部が本部と協力して活動してきたのに、事前に相談もなく前記のような一方的な書簡を送り付けることは無礼極まりない、人を侮辱するものであると考え、右書簡には話し合いを求めている部分もあるが、他の部分に「We have decided」との記載があることから、話し合いの余地はないものと解釈し、話し合いに応ずることなく、昭和六二年七月に国際ツル財団日本支部を解散させた。

(2) 原判決第二の一(争いのない事実等)に判示の事実と、証拠(甲二二、三〇の一・二、乙六二ないし六四の各一・二、九七の一・二、九八、証人小河原(原審)、同市田(原審・当審)、同山口(原審)、同内田(当審)、控訴人本人(原審・当審))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

ア 文部省・国立科学博物館(その付属自然教育園)が主体となり、文化庁も協力するなどして、昭和六〇年四月から平成元年まで、鹿児島県出水市のツルに関する調査が行われ、その成果は「国際保護鳥ナベヅル・マナヅルの保護・管理手法に関する基礎研究」として発表された。もともと、右調査は、被控訴人の初代の事務局長であった内田が考え出して試み、学会で発表などしていた、ツルが夕方給餌地域に戻る羽数を数える調査方法が文化庁等の関係者に注目されて、環境庁の調査方法に採り入れられるところとなり、国立科学博物館の付属自然教育園を調査主体として予算が実現されたが、予算の実行に当たっては、当時内田が所属していた財団法人日本鳥類保護連盟に委託され、具体的な調査は、右付属自然教育園の担当官である千羽晋示の統括の下に、内田がリーダーシップをとる形で行われ、民間の研究者の協力を得て実施されたのである。

被控訴人の事務局員であった塚本洋三、花輪伸一及び中村らは、右調査の始まった昭和六〇年一〇月ころから何度か、被控訴人としてあるいは個人として右調査に参加できないかと内田の意向を打診したが、内田は被控訴人あるいはその主要なメンバーが右調査に参加することは好ましくないと判断して、これを承諾をしなかった(右申し入れの事実を否定する証人市田(原審・当審)の供述は、証人内田(当審)の証言に照らし採用できない。)。内田はそのころ右千羽から、被控訴人の関係者から右調査に参加したい旨の申し入れがあった旨も聞いていた。

本件記述(二)(2)の「委託調査」は、右調査を指す(当事者間に争いがない。)。

イ 山口が本件募金収支決算のコピーを持参するなどして他者にその内容を吹聴するようなことはなかったが、誰からか被控訴人の関係者や環境庁に本件募金収支決算のコピーが送付されたりした。

小河原は市田から、昭和六一年六月七日より後に開催された被控訴人内部の運営会議のような場において、山口が環境庁あたりに本件募金収支決算を持ちこんで騒いでおり、非常にけしからんというような話を聞いた。

(3) 以上認定したところに基づき、まず、本件記述(二)(1)につき検討する。

ア すでに認定したように、被控訴人は、その事務局員であり、ツル保護特別委員会の事務局長であった中村を通じてアーチボルドから要請され、国際ツル財団の主催するチチハル会議のためにツルの小冊子を出すことに賛同していた(アーチボルドは、山口に宛てた書簡で、これに触れて、ツル保護特別委員会が「agreed to pubrish」したと記載し、さらに「英語、日本語及び中国語で出版されるでしょう。」と記載している(乙一一)。)。また、前記のようにアーチボルドはケニアのツル保護のための資金援助を被控訴人に求め、その約束を得ていた。これらの事実からすれば、被控訴人のツル保護特別委員会が、右ツルの小冊子の出版につきその費用を援助することも話されていたのであり、アーチボルドが被控訴人からこれを含めて資金援助を受けることを大いに期待していたことを推認するに難くない。

このような期待を抱いているアーチボルドに対し、被控訴人の事務局長である市田が、山口の言動により被害を受け、これに不満をもっている旨を告げつつ、被控訴人の関係者をチチハル会議に参加させない旨を発言すれば、アーチボルドは、被控訴人がチチハル会議に協力せず、ツル保護特別委員会による小冊子の出版に対する援助も拒否するであろうと感じることは見やすい道理であり、アーチボルドが落胆して何らかの対応をする必要に迫られたであろうことも容易に推認することができる。

イ もっとも、国際ツル財団日本支部内部においても山口に対する批判があり、アーチボルドは、日本支部の支部長を山口から他の人に交替してもらうことも考えていたと認められるが(乙七二)、アーチボルドにおいて、昭和六二年一月八日以前に日本支部の名称を使用することを禁止すること、換言すれば日本支部そのものを廃止することを考えていたとまで認めることのできる証拠はない。

ウ しかし、アーチボルドから山口に宛てた、前記日本支部の名称使用の禁止を通告した書簡は、その理由として、日本支部の被控訴人に対する批判に同意できないことを揚げており、アーチボルドに日本支部に対する名称使用の禁止を決断させた理由は、日本支部の被控訴人に対する批判を好ましくないと考えたことにあることは、右記載から明らかである。

そして、すでに判示の経緯からすれば、アーチボルドが右のように態度を変更したのは、被控訴人が国際ツル財団の活動にとって資金的にも重要な位置を占めており、被控訴人より資金援助を受けるには、国際ツル財団の傘下にある同日本支部が被控訴人と対立し、これを批判することを放置しておくわけにはいかず、日本支部を国際ツル財団から切り離す必要があると考えた結果によるものであろうと推認できるところであり、アーチボルドがそのような考えを抱くに至ったことには前記市田の昭和六二年一月八日の発言が大きな原因となったものと推認することができる。

エ 以上認定判断したところによれば、アーチボルドが国際ツル財団日本支部にその名称を使用させないことを決めて山口に通告したのには、市田がアーチボルドに対して、被控訴人が山口の行動によって大きな被害を被ったので被控訴人の会員をチチハル会議に参加させない旨言明し、暗にツル保護特別委員会のチチハル会議のための小冊子に対する援助も否定することをも示したことが重要な要因となっているという推論には相応の根拠をもつものということができる。アーチボルトの右決断が国際ツル財団日本支部と被控訴人のそれぞれの重要性を比較衡量したうえでの判断であり、国際ツル財団日本支部の解散が山口らの思い込みの一面があるとしても、控訴人の指摘する、「市田の圧力」により「国際ツル財団日本支部の解散」に至ったとの指摘は、ある程度当たっているところがあるといえよう。

本件記述(二)(1)中には、すでに触れたように、中村が出席した国際会議は昭和六一年六月で、「去年四月」は「一昨年六月」の誤りであり、また、市田の発言にしても、同人が「山口のやっている日本支部があるかぎり、ビタ一文出せない」との言葉そのままを使用したことまでは認めるに至らないが、被控訴人の傘下にあるツル保護特別委員会がチチハルの国際ツル会議を援助する趣旨の話を中村から聞いてこれを期待していたアーチボルドが、市田の山口に対する批判と被控訴人からはチチハル会議に参加しないことを聞かされ、援助の拒否と考えて、日本支部との関連を断ち切ることを決意して外国支部の廃止と日本支部の名称使用禁止を通告したとの主要な部分については真実に沿うものであるか、少なくとも控訴人がした推論にも無理からぬところがあり、批判記事として許される範囲を逸脱するものではないと認めることができる。

(4) 次に、本件記述(二)(2)につき検討する。

ア 被控訴人の関係者が、被控訴人自身もしくはその会員個人として、前記国立科学博物館によるツル調査に参加しようとして内田等に接触したりしたが参加できなかったこと、山口が本件ツル募金の収支決算報告書を環境庁あたりに持ち回って騒いでいてけしからんと市田が話していたことはすでに判示のとおりであり、前記アーチボルドに対する市田の発言が、右「山口の行動」を一つの原因としてなされたものであろうことは容易に推認することができる。

イ しかし、右調査に被控訴人及びその関係者の参加を認めるかどうかは内田らの判断で決められたことであり、その判断に右「山口の行動」が影響していたと考えられる証拠はなく、市田が右調査に参加できなかったことの原因につき右「山口の行動」にあると発言することも考えにくいし、すでに判示のとおり、右ツル調査は五年計画で実施され、研究費は環境庁から出たものであり、鳥類保護連盟が委託を受けたものである。

また、被控訴人の当時の予算規模が四、五億円であり、その収入の内の約二〇パーセントが受託収入によっていたものである(乙一三、証人市田(原審))ことからすれば、被控訴人が調査委託を受けることに重大な関心をもっていたであろうことは十分予想されることであり、右ツル調査に参加できた場合の予想される被控訴人の取得分は年間一〇〇万円程度ではあるが、これが五年間に及ぶ(中途参加の場合は残存期間)こと(証人市田(原審)、証人内田(当審))、右ツル調査は文部省の関係する初めてのツルに関する調査であること(証人内田(当審))、収入は個々の積み重ねであること等からすれば、被控訴人がこれを軽視していたとも考えられない(証人市田(原審、当審)の供述中これと異なる部分は採用することができない。)。しかし右予算規模からすれば、右ツル調査による収入が得られないことにより被控訴人の資金繰りに齟齬を来すことがあるとは思われず、市田がそのような発言をしたとも考えにくい。

ウ してみれば、本件記述(二)(2)は、環境庁を文化庁と、五年計画を三年計画と、鳥類保護連盟を鳥獣連盟としている点で明確な誤りがあり、市田において、前記調査の受注をできなかったことから資金繰りに齟齬を来した、あるいは調査がとれなかったのは山口のせいだといったとの点などについては、真実であるとの証明がないというほかはない。

エ 次に、控訴人が真実であると信じたことの相当性について判断する。

本件記述(二)(2)は全て山口からの取材に基礎をおくもので、山口はかつて被控訴人の常務理事をしていたのである(乙七八の二)から、控訴人が山口の被控訴人に関する発言を信用することには無理からぬ点もあること、文化庁も前記ツル調査に関係していたこと、三年計画や鳥獣連盟等は些細な過誤であること、委託調査の受注に被控訴人が強い関心をもっていたこと自体は間違いないと思われること、調査に参加できなかった時期と山口による決算報告の吹聴と言われている時点が近接していたこと、市田に取材を申し込んだが拒否され、たまたま取材できたものの短時間に過ず、多方面にわたる本件記事内容につき逐一確認することは困難であったと思われること等を考慮すれば、右真実の証明のない点についても、控訴人が真実と信じたことには無理からぬ点があるといえるし、本件記事の性格からいって、批判記事として許される範囲を逸脱するものとはいえないと認めることができる。

(5) 以上のとおりであるから、本件記述(二)について、名誉毀損の不法行為は成立しない。

4  本件記述(三)(メシのくえる自然保護)について

(一) 当裁判所も本件記述(三)が被控訴人の社会的評価を低下させると判断するものであり、その理由は、原判決書六枚目表九行目の「本件記述(三)(1)は」から七枚目表三行目までのとおりであるからこれを引用する(但し、六枚目表九行目から一〇行目にかけての「小河原孝生(以下「小河原」という。)は」を「小河原孝生(以下「小河原」という。)が」に、六枚目裏一行目から二行目におけての「この「メシのくえる」とは、」を「この「メシのくえる」との表現は誰を主体としているか必ずしも明瞭でないが、」に、同四行目の「ことを意味するものと認められる。」を「ことを意味するものと読み取ることができる。」に、同七行目の「自然保護」を「自然保護活動」に改める。)。

(二) しかし、当裁判所は、本件記述(三)に関しては、主要な部分について真実性の証明があり、また真実と信じたことにつき相当性もあるものと判断する。その理由は次のとおりである。

(1) 本件記述(三)に関して控訴人が小河原を取材した経緯、その際に小河原の発言した内容等については、すでに第三の一1(三)に判示のとおりである。

(2) 控訴人は、本件記述(三)(1)において、「メシのくえる」主体は地元の人々とともに被控訴人自身を意味するものとして記述している。しかし、すでに認定したように、小河原自身も控訴人からの取材の中で、全体としては地域振興の中での自然保護と被控訴人自身が経済的に成り立つ自然保護との両面を考慮していると受け取られる説明をしているものである。

たしかに、小河原自身が山原のサンクチュアリの説明に際して「メシのくえる自然保護」の発言をしたときには、地元の人々が生活できるように地域振興の中で自然保護を考える趣旨で使用したものであるし、鶴居村の村長の発言もその趣旨で述べたものであり、この点では、前記表現は誤っているとみることもできよう。しかし、小河原の控訴人に対する説明は、全体としては被控訴人の自然保護活動につき右両面の意味を込めていると受け取られる説明をしている以上、説明全体の趣旨として自然保護で「メシをくう」のは、地元の人々とともに被控訴人自身でもあることを説明したとみることもでき、本件記述(三)(1)が部分的には小河原の発言の趣旨と異なった表現となっても、全体の発言の趣旨は主要な部分において誤りなく表現されているといえ、主要な部分は真実と認めることができよう。

仮に、主要な部分において真実と認めることができないとしても、小河原が全体としては被控訴人の自然保護活動につき右両面の意味を込めていると受け取られる説明をしている以上、小河原が山原のサンクチュアリの説明に際して「メシのくえる自然保護」を発言したときにもその意味で使用したと控訴人が考えるにはやむを得ないところがあり、真実と信じたことにつき相当性があるとみることができる。

(3) 本件記述(三)(2)は、控訴人の意見を述べたものであることは、その表現自体から明らかである。その根拠として摘示している事実は、明確ではないが、本件記事全体をみれば、本件記述(三)(2)の直前の委託調査を受けた場合には被控訴人のふところが潤うとの部分及び直後の受託収入は総収入の二割であるとする部分のように読み取れる。

すでに判示したように、被控訴人の当時の予算規模は四、五億円であり、収入の約二〇パーセントは委託調査により得ていたものである。委託調査を受けた場合に、調査費の相当部分は被控訴人自身の手元に残るものであり、これには被控訴人の職員自身の人件費や家賃等一般管理費も含まれるものであるが、これは委託調査を受けなくとも必要となるものである(乙一〇八の一ないし一六、一一四、証人小河原(原審)、証人内田(当審)、同市田(原審、当審)。但し、市田証言については本項において判示する点と異なる部分につき採用しない。)。

してみれば、被控訴人が委託調査を全く受けなかった場合には、予算規模が二〇パーセント減となることは明らかであり、被控訴人自身の活動に支障の出ることの予測されることも明らかである。逆にいえば、被控訴人が活動を維持していくためには、委託調査を受けざるを得ない面のあることを否定することはできない。

確かに、本件記述(三)(2)のように「片っぱしから受注」する必要があるとは思えないが、右記述の根拠とした事実の主要な部分は真実とみることができ、右記述には誇張があるとはいえ、右認定の被控訴人における委託調査の占める位置を表現したものということができる。

仮に、本件記述(三)(2)につき主要な部分において真実と認めることができないとしても、すでに判示の事実からすれば、本件記述(三)(2)も批判記事として許される範囲を逸脱するものではないということができ、真実と信じたことについて相当性があるものといえる。

(4) 以上のとおりであるから、本件記述(三)についても、名誉毀損の不法行為は成立しない。

5  本件記述(五)について

(一) 当裁判所も本件記述(五)が被控訴人の社会的評価を低下させると判断するものであり、その理由は、原判決書八枚目表一行目の「本件記述(五)(1)において」から九枚目表一行目までのとおりであるからこれを引用する。

(二) しかし、当裁判所は、本件記述(五)については真実性の証明がない部分もあるが、真実と信じたことにつき相当性があるものと判断する。

(1) 控訴人は、本件記述(五)(1)において、資金部が常務理事に直属していること及び市田が常務理事と事務局長を兼務しており、会の運営の中枢に参画するとともに金庫の鍵を握っていることなどを主たる論拠として、被控訴人の内部において、天皇というにふさわしい市田に対する権力の集中があると論評しており、市田が常務理事と事務局長を兼務していたことは当事者間に争いない。

被控訴人の資金部は昭和六一年二月に設けられたものであるが、その設置の理由は、訴外野口英夫が法人特別会員の勧誘に当たるについて、何らかの肩書がある方が行動しやすいとの配慮から、新たに資金部を設けて野口を資金部長としたものであり、被控訴人の資金の管理運営というような重要な役割を与えれていたわけではないし、本件記事の公表された昭和六三年ころは、右資金部は専務理事の下に位置づけられていたものである(甲二、三一の一・二、証人市田(原審))。

控訴人は、右資金部が資金の管理運営という高度の役割を担ういわば「金庫」といえるような部署であると主張し、これに沿う供述をするが、右供述は資金部が常務理事に直属していることと右名称からの推測に過ぎず、採用の限りでないし、他に右資金部の役割が控訴人主張のようなものであることを認めることのできる的確な証拠はない。

しかし、資金部の所属については、野鳥四八五号(乙二七の二)に掲載されている被控訴人の組織図(これは一度掲載されたものの訂正のための掲載)では、資金部は常務理事に直属し、事務局長も常務理事に直属しているように表示され、事務局には総務部、保護部、普及部、企画事業部が設けられているものと表示されているし、小河原作成のメモ(乙八三の三)にも資金部が常務理事に直属していたことがあったような記載がある。右乙号証に、資金部が単に事務局内に設置された旨のBird News(甲三一の二)と、「たまたま野口と親しかった川崎の下に付けた」との証人市田(原審)の供述等を総合すると、資金部が常務理事に直属していたか専務理事に直属していたかは必ずしも明確でなかった疑いもあり、控訴人が資金部を常務理事直属と考えたことには無理からぬ点がある。

また、資金部の役割についても、取材に際して確認すれば誤りが判明したとは思われるが、資金部の名称から推測される役割は一般的には控訴人の主張する資金の管理運営も含まれると考えるのが素直であり、被控訴人の機関誌に掲載された組織図に総務「部」等と同格もしくは、役員直属として総務部等より上位ともみられかねない「部」として資金部を表示していたものであるから、控訴人がその役割につき前記主張のように考えたとしても無理からぬところがある。

さらに、すでに判示したとおり、控訴人は、かつて被控訴人の事務局長であった内田と竹下、千葉支部長であった石川、会長であった中西の妻である八重子、理事でもあった山口らから取材した際に、市田が、事務局長であった内田、奈良部及び竹下らを追い落として自ら事務局長となって、人事権を掌握し、中西と対立して解雇の決議までされたが、詫び状を書いて事務局長に止まり、その後事務局と支部長等をまとめて支部長会議を利用するなどして中西会長を辞任に追い込んだあげく、常務理事にまで成り上がり、自らは事務局長と常務理事の兼務は好ましくないといいながら、兼務を続けて、被控訴人の業務運営の実権を握っている等の話を聞かされたこと(既述していない部分につき控訴人本人(原審・当審)。なお、被控訴人の事務局内部でも市田の実力者ぶりを評して、当初は「野鳥の会プリンス」といわれていたのが、本件記事の公表当時には「天皇陛下」との言われ方もなされるようになっていたことは証人小河原(原審)も証言する。)を総合すれば、市田につき俗にいう権力者、あるいはワンマンを指すのに使われている「天皇」という言い方をされるにふさわしい権力の集中者であると考えたことには、それ相応の裏付けがあったといえる。同人は、原審における供述ぶりや当審での供述からみても、事務的な面では群を抜く統率力を発揮する人物であることは十分窺うことができ、同人に対する批判は、あるいはこうした能力に対する反発の現れであったのではないかと考えられるところもないではない。しかし、逆にいえば、同人には、たとえいわれのないものであったにせよ、こうした点に対する反発を招く素地があったことも否定し得ないと思われる。

してみれば、厳密には資金部の位置付け及び役割の点で本件記述(五)(1)には真実と認められない部分があるが、前記控訴人の推論及び控訴人がこの記述部分で訴えたかったと思われる、市田に対する権力の集中については、これを真実と信じたことには無理からぬところがあるといってよい。

(2) 次に、本件記述(五)(2)について検討する。

本件記述(五)(2)は、被控訴人の役員の中に支部役員がいるが、これは草の根組織であることのデモンストレーションに過ぎず、その実態は「天皇の股肱の臣」の疑いがあり、川崎と塚本は市田のイエスマンとなってポストを維持しているとするものであり、いずれについても特に根拠事実を摘示したものではないが、本件記事全体の一つのテーマである、市田への権力集中とその実権把握を批判するという観点から、右のように論評したものとみられる。そして、右記述に摘示された各県支部役員が副会長、理事九人を占めていることについては、当事者間に争いがない。

被控訴人の役員には各県支部の役員も多数就任しており、評議委員は、支部役員の中から推薦され、理事会の承認を得て会長の委嘱する者と、会長の指名する学識経験者とからなり、理事は、地方選出の評議委員からなる役員選考委員会が案を作成し、理事会からも学識経験者等の推薦をし、評議委員会で選任することとれされ、会長、副会長、専務理事、常務理事は理事会において互選することと定められており、その手続に則って選任されている(甲三四、三五、五〇、証人市田(原審))。

しかし、市田が、被控訴人の内部にあって重要なポストを占めていた者の少なくない者から「天皇」とも評されるべき実力者であるとみられて、支部長会議等を利用して中西を辞任に追い込んだと評されていること等右(1)で判示のごとき控訴人の取材結果に加えて、控訴人は山口を取材中に、川崎はポストのために中西を捨てて市田と組んだが、切れる人でないので市田が利用できる人物であるとの趣旨の話を聞き、また、中西は、川崎のことを市田のロボット役者と評したり、塚本が上司である市田の命令には従わなければならないと述べたなどと記述していること(乙四八、五五)、さらに、昭和五四年以降本部と支部の一本化が進められ、市田はこれを推進する中心人物の一人であり、右一本化を進めている最中に茨城県支部長であった川崎を常務理事に招聘したが、本部のやり方には中央集権的であるとの強い批判もあり、議論がなされたものの結局市田らの推進する一本化が実行され、その後、一本化の方針に沿わない千葉県支部や埼玉県支部の承認が取り消されたこと(乙五五、六一、控訴人本人(原審・当審))等の点を総合し、また、すでに判示したように、市田につき、「天皇」といういわれかたをされるにふさわしい権力の集中者と考えたことに無理からぬ点のあることを併せ勘案すれば、本件記述(五)(2)のように控訴人が考えたこともやむをえない点がある。

(3) すでに述べたように、被控訴人のように公共性の強い団体の組織運営のありかたに対する批判にあっては、過失の判断における相当性の程度をあまり厳しいものとすることは相当でないこと等からすると、控訴人の本件記述(五)には、誤解があったり、反対意見の取材に不十分なところがあり、その論評に多少の行き過ぎがあるとの批判は免れないところがあるとはいえ、右(1)、(2)に判示の諸点を考慮すれば、本件記述(五)は批判記事に許される範囲を逸脱するものではないということができ、右行き過ぎ等をもって、直ちに不法行為に当たるとするには至らないというべきである。

以上のとおりであるから、本件記述(五)も不法行為を構成するとはいい難い。

二  争点5(被控訴人の損害)について

当裁判所は、本件記述(四)により被控訴人の受けた損害は一五万円であると判断する。その理由は原判決書四一枚目表一行目から同裏七行目までのとおりであるからこれを引用する(ただし、原判決書四一枚目表一〇行目から一一行目にかけての「本件記述(二)ないし(五)」を「本件記述(四)」に、同裏二行目から三行目にかけての「前記三(更正決定により「二」と更正)において」を「すでに」に、三行目から四行目にかけての「原告が被った損害は四〇万円とするのが相当である。」を「被控訴人が受けた名誉毀損の程度を金銭に評価すれば一〇万円が相当である。」に、七行目の「一〇万円」を「五万円」に改める。)。

第四  結論

以上のとおりであるから、被控訴人の本件請求は、一五万円と内一〇万円に対する不法行為の日である昭和六三年二月五日から、内五万円に対する平成元年八月二五日(本件訴状送達の翌日)から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。したがって、右部分を越えて請求を認容した部分につき原判決は失当であるから同部分を取り消し、その余についての本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官上谷清 裁判官田村洋三 裁判官鈴木健太)

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